毎日、毎日、これでもかとマスコミはコロナの感染者数を発表し、大騒ぎしている。我らが沖縄県では感染者数の増加を受けて県独自の外出自粛要請が出ている。まるで感染したらみんな死んでしまうかのような騒ぎようには筆者は当初から違和感を覚え、SNSや動画で情報を配信してきた。

 このコロナ騒動が終息するのはいったい、いつになるのだろうか?ワクチンが開発されたとき?それとも?

 まずは冷静に数字を追ってみよう。8月11日現在、国内感染者数は48,928人、死亡者数は1,052人。致死率は2.15%(厚生労働省)。世界的に見ても日本の死亡者数は劇的に少ない。一方、退院または療養解除になった人は33,975人。つまり69.4%は既に治って社会復帰をしているのだ。残りもまだ入院していたり療養している人たちだが、致死率から逆算すれば約98%の人は治るのだろう。マスコミで報道されないのでこの数字は声を大にして伝えたい。感染しても98%の人は治るのだ。

 全世界の感染者数は約2千万人で73万8千800人が死亡している。致死率は3.66%。国によっては10%を超えているところもあり、世界でパンデミックになっているがコロナに感染したからと言って全員が死ぬわけではないことは数字が物語っている。

 感染者を悪者扱い。マスクをしていないと非難される。開いているお店には自粛警察なるものが出動し、自粛しろとの張り紙。青森のある民家には帰省して帰って来たことを非難する手紙。本当に日本人の心が壊れて行っているようで悲しくて仕方がない。

 大震災で被災し、避難生活にありながら黙々と食料支給の列に並ぶ。自分のことよりも他の困っている人たちを優先して食料品を分け与える。そんな日本人被災者の姿に世界は感動した。そんな日本人が年々減っている気がしてならない。

 目に見えないウィルスの存在に一喜一憂し、他人を攻撃する。目に見えない感染を防ごうとする姿勢そのものが問題ではないかと筆者は感じている。病は気から。感染症もしかり。感染すると思っていると感染する。病気になると思っていると病気になる。感染しても大丈夫と思っていると感染しても発症しない。誰かのせいにしてはいけない。この現実世界は100%自分が描き出しているのだから。

 もう少し詳しい数字を見ていこう。いずれも厚生労働省のホームページで公開されている数字やグラフなので、確認されると良いだろう。図1は年齢別の感染者数と死亡者数を表している。見事に曲線が反転している。すなわち、感染者数は若い方が多くて、死亡者数は高齢者が多いということだ。基礎疾患を持っている人が感染すると重症化しやすいと言われているがグラフからはその事実は読み取れない。


 このグラフを眺めていると様々な疑問が沸いてくる。10代以下の死亡者はゼロだというのに学校の一斉休校は果たして妥当なのだろうか?学校や学生寮などで発生したクラスターを報道する意味は果たしてあるのだろうか?お年寄りや基礎疾患をお持ちの方だけに自粛してもらった方がいいのではなかろうか?果たして国全体の経済を止めてまで自粛する必要はあるのだろうか?

 緊急事態宣言後に一時収束したコロナ感染者が7月中旬頃からまた増えだした。これには理由があるのだ。例えば図2のように新宿区ではコロナ検査で陽性と判定された者には見舞金として10万円が支給される。そのため新宿の夜の街で働く若者たちが10万円の見舞金を目当てに検査に殺到した。その多くは感染しても発症していない若者たち。若者の間で感染者数が増えているとだけ報道されるのでその本質が伝わって来ない。


 もっとも、報道しない責任をすべてマスコミに押し付けるつもりはない。 このことはマスコミ自体がコロナ騒動の煽りを受けて業績が悪化していることからも窺える。テレビ朝日労組は民間マスコミの労働組合である民放連から脱退した。理由はなんと組合費の負担が重くなったためだという。コロナの影響でCM広告費の売上が激減し、業績が悪化したためだ。

 厚生労働省が配布している報道資料を見ていると、すべてに目を通したわけではないが、感染者数の発表に終始しているのだ。年齢別のデータなどは見当たらない。つまりマスコミ自体が自分たちの頭で考えることなく、自分たちで調べることなく、役所の記者発表をそのまま流しているだけのようなのだ。厚生労働省はなぜことの本質や細部を国民に情報提供しないのか理解に苦しむ。

 そもそも例年流行するインフルエンザでも年間数千人が死亡している。しかし毎年緊急事態宣言が発動されることはない。コロナはまだワクチンが開発されていないから騒ぐのかもしれないが、毎年世界中で約40万人が死亡しているマラリアもいまだにワクチンの開発はされていない。ウィルスや細菌のワクチン開発はイタチゴッコだとも言われている。常にワクチンへの耐性ウィルスが出現するからだ。新たなウィルスの出現のたびに経済を止めてしまうのだろうか?

 結局、このコロナ騒動が終息するのは「ワクチンが開発されたとき」ではなく「マスコミが報道しなくなったとき」だといえないだろか?マスコミの報道が一色に染まったときには気をつけなければならない。近年でも朝から晩まで森友加計学園の問題の報道で一色だったことは記憶に新しい。あるとき何も問題が解決しないまま、この報道がピタリとやんだ。今ではそんな問題などなかったかのようになっている。

 豪雨や地震被害でたいへんな状況に陥っている地方に住んでいる人に安否を尋ねると「何のこと?」と拍子抜けの回答が返ってくることがある。まるでその県や地域全体がたいへんなことになっているかのように報道するが、実際には限定された地域だけの話ということがよくあるのだ。

 沖縄に住んでいるとたまに本土在住の方から「辺野古反対派が多いからたいへんですね?」と言われることがある。しかし実際にはたいへんな目にあったことはまったくない。沖縄に住んでいると「過激な辺野古反対派は辺野古とマスコミの中にしかいない」ことがわかったからである。そう、報道の中で煽りに煽られるとそこで本当は何が起きているのか錯覚することがあるのだ。「事件は現場で起きている」のではなく、「マスコミの中だけで起きている」ということがよくあるので要注意である。

 このようなことが起きる理由は、起きた客観的事実に対して、報道では取材者の思想や思考が入り込んでしまうからであろう。つまりわたしたちは加工された情報を毎日目にしている。誰かの考えを毎日聞かされているのだと認識していなければならないということだ。そうでなければ他人が作った情報に一方的に踊らされることになる。

 大学ではメディアリテラシーの講義がある。リテラシーとは「読み書き能力」のこと。メディアリテラシーとはメディアからの情報を主体的に、批判的に読み解く能力を言う。そのうえ、その情報がどんな「意図」で発信されたかを自分の頭で読み解き、自らそれに基づいて発信するまでの能力を身につけることを習う。残念ながらこの大学の授業は選択項目だったので選択していない学生にはこうしたスキルを身につける術がない。

 本来、メディアリテラシーは義務教育で身につけるべきスキルであるべきだ。

 国会議員の杉田水脈氏がデンマークの中学校に視察に行き、中2の公民の教科書を開いたときのことを講演でよく引き合いに出す。教科書の一番最初に出てくる項目は「メディアは嘘をつく」だそうだ。メディアがどのようにして巧妙な印象操作をやっているのか、そのテクニックを学ぶそうなのだ。日本ではこうした教育は皆無である。そのためメディアの情報を鵜呑みにする人が後を絶たないのだろう。

 新聞やテレビは利益追求を行う営利企業が運営していることを忘れてはならない。そのため視聴率を取るために普通の情報がセンセーショナルで大袈裟な事件へと変えられたりするのだ。

 現在放映中のドラマに病院薬剤師の物語がある。患者第一の熱い思いを持った石原さとみ演じるスーパー薬剤師が、周りと軋轢を起こしながらも患者を守る。毎回涙なしには観られないドラマではある。しかし毎回必ず患者が「処方された薬をちゃんと飲まない」ことで事件が起きる。このドラマをメディアリテラシーなしに観ると「医者から処方された薬はちゃんと飲まなきゃ」と思い込まされることだろう。

 しかも気をつけなければならないことは、このドラマにCMを提供している企業の約半分が製薬会社及び大手調剤薬局というところだ。ドラマを通して視聴者に薬をしっかり飲むこと。つまり目線を変えると自社の薬の安定売上につながることを訴えるという、彼らスポンサーの意図が透けて見えるどころか露骨に見えるのだ。ある薬局などはドラマの出演者を登場させ、ドラマと地続きのCMを提供している。これではまるで通販会社がよく作るドラマ仕立てのインフォマーシャル(情報提供型のコマーシャル)との違いがほとんどない。

 とにかくメディアリテラシーを身につけよう。どこかの誰かが発信している情報を鵜呑みにせずに自分で調べたりすることだ。言うまでもなく本紙の情報も鵜呑みにせず自分の頭で考えるべきであろう。(グッドニュース沖縄第64号 眼光紙背より)